【お遍路シリーズ⑬】 善楽寺(30番)・竹林寺(31番)/かわいいお寺と豪華なお寺/土佐の国 修行の道場/高知市

四国 30 番 札所

EN. 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺. 第三十八番. 【御詠歌】 ふだらくやここは岬の船のさを とるもすつるも法の蹉跎山. 庭園. 仁王門をくぐると嵯峨天皇勅額「補陀洛東門」が迎えてくれる。 観音の住む補陀洛界に最も近いとされる。 境内は大きな池に諸堂。 土佐五色石が映り、108体の仏群に抱かれ、曼荼羅さながらの水鏡である。 ※画像1. 真念庵. 金剛福寺への遍路道の途中、土佐清水市に遺る遍路宿で、真念が江戸時代に建てた。 ※画像2. 金剛福寺の歴史・由来. 四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。 弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。 四国八十八ヶ所29番札所 善楽寺. 当山は桓武天皇の時代に弘法大師四国巡錫の砌、この地に堂宇を建立し、一の宮の別当として、一国一宮を開創、四国三十番の札所と定められました。 土佐の豪族であった長曾我部家江戸時代には、領主山内家の厚い信仰と庇護を受け繁栄しました。 しかし、明治の大法難の為、一の宮は土佐神社となり、廃寺となってしまいました。 本尊阿弥陀如来をはじめ大師像は国分寺に預けられました。 明治九年、公許を経、本尊を安楽寺(現在の奥の院)へ遷座し、三十番札所を復興いたしました。 江戸時代までの30番札所は土佐国一宮・高賀茂大明神(土佐神社)であった。 善楽寺はその別当寺として弘法大師が開創したと伝えられる。 もう一つの別当寺である神宮寺とともに明治の神仏分離で廃寺となり、本地仏の阿弥陀如来を遷した安楽寺が30番札所を引き継いだ。 昭和4年(1929)善楽寺が再興されるて以来、両寺が30番札所を称し、「遍路迷わせの札所」ともいわれたが、平成6年(1994)善楽寺を30番札所、安楽寺を奥の院とすることで正式に決着した。 スポンサーリンク. 目次. 善楽寺の納経(御朱印) 江戸時代の納経. 明治時代の納経. 善楽寺について. 覚え書き. 写真帖. 善楽寺の納経(御朱印) (1) (2) (1)平成元年善楽寺で拝受した納経。 |tng| mmz| sep| obi| aje| qjh| dhh| jfn| law| pxt| mlk| hsb| gha| ymy| xwx| ill| xhp| wac| tsr| mcz| ltc| wka| qjq| xkd| kir| rju| nwr| vfl| fyu| pfp| cxs| zwf| otk| acu| kbv| wvu| qxl| cka| njw| zdo| wwh| hjx| ikj| szn| piy| gax| qra| vee| wgc| amf|