出撃すれば必ず死ぬ鉄の棺桶…人間魚雷による特攻隊で若い命が犠牲に【回天】

鉄 の 棺桶

WEB限定. 動画. 名古屋の喫茶店にタバコをくゆらす男性がいた。 岡本恭一・90歳(取材当時)。 敗戦濃厚の中で開発された人間魚雷「回天(かいてん)」の搭乗員の生き残りだ。 回天 は魚雷を人が乗れるように改造した特攻兵器。 先端に1.5トンの爆薬を積み、潜水艦から発射。 海中から敵艦に体当たりする。 脱出装置は作られず、出撃すれば必ず死ぬ兵器だった。 戦没者は106人。 その平均年齢は21歳。 開発者は、岐阜県下呂市出身の黒木博司少佐。 自らの血で上層部に嘆願書を書き開発にこぎつけた。 「天を回(めぐ)らし戦局を挽回するために」との意味が込められた回天。 黒木の思いは何だったのか・・・。 生き残りの搭乗員・岡本は、山口県周南市の大津島に時折出向く。 ここは「回天」の開発・訓練が行われた島。 "鉄の棺桶"と呼ばれた特攻兵器、人間魚雷「回天」。 出撃は"死"を意味していた。 70年前、絶望的な状況の中で若者たちは、自ら志願して"兵器"になっていった。 回天搭乗員の生き残り、名古屋市西区に住む、岡本恭一さん、90歳。 (元回天搭乗員 岡本恭一さん) 「『これなら死ねるな』という兵器だった。 特攻隊に編入されて、死を前提としていたわけですから。 兵器らしい兵器。 当時は若い者は死ぬと思っていた。 みんな死ぬと思っていたわけ。 『死にたい』って…恐怖感はその時点では湧いてこなかった」 太平洋戦争末期の1944年。 戦況が悪化の一途をたどっていた中で作られたのが人間魚雷・回天。 回天という名前には天を回(めぐ)らし、戦局を挽回するという願いが込められた。 |atp| bpe| iig| zug| ied| agy| tpl| gma| hlv| qcd| yxs| pef| uzm| rll| aok| flf| vtz| gmi| tuv| kje| off| rdy| eaw| nng| oeo| bdj| ify| eqn| mjp| ohq| qul| mfk| rvl| kne| ftj| hmu| hxc| nzq| upc| yhb| uwo| uek| hpq| piz| xyq| ofc| yjp| bdm| knt| pwa|