「日本遺産 出羽三山」文化財から巡る日本遺産ストーリー(短尺版)

湯殿 山大 権現

湯殿山権現灯明領として慶安二年(一六四九)高六石五斗の朱印地を認められており、最上義光の寄進で、伏所は 柴橋 ( しばはし ) 村(現寒河江市)のうち 木 ( き ) ノ 沢 ( さわ ) (現大江町)である。 その後、 天長 3年( 827年 )に湯殿山 大権現 を 勧請 して 伽藍 が造られ、これ以降月光山本道寺と称し、湯殿山4か寺となった。 本道寺は、空海の遺訓もあって、4か寺の正別当として湯殿山の中心的な別当寺となった。 本道寺は歴代の領主にも崇敬された。 古くは 大江氏 の流れを汲む 寒河江氏 、ついで 最上氏 の崇敬を受けた。 江戸時代 には、梁間18間、桁68間という東北一の大伽藍を誇り、湯殿山として 徳川氏 の七 祈願所 の一つ、勅許による 勅願寺 にもなっていた。 「出羽三山参拝の本道」とされたため、本道寺を通る 六十里越街道 には多くの 行者 が行き交い、街道沿いの集落は、「(参拝のピークである)夏の稼ぎだけで遊んで暮らせた」ほどの繁栄を誇った。 羽黒山大権現・月山大権現・湯殿山大権現は古くは羽黒三山(あるいは羽州三山)と総称され、大峯山や彦山と並ぶ修験道の道場として栄えた。 羽黒山頂の羽黒山寂光寺大堂(金堂)には三山の本地仏(聖観音菩薩・阿弥陀如来・大日如来)が安置されていた。 慶應4年(1868)の「神仏判然令」によって権現号が禁止され、仏像は廃棄されるか、末寺などに移された。 のにある仏像はその名残である。 大堂は三神合祭殿と改められ、月山と湯殿山は冬期の参拝が困難であることから、三山の神を合祭している。 現在は、出羽神社、月山神社、湯殿山神社を総称して、出羽三山神社と呼ぶ。 しかし、出羽三山は昭和10年代に登場した新しい呼称である。 神仏分離・廃仏毀釈によって、三山信仰は大変貌を遂げた。|bpp| dfo| dwt| huw| cmb| enw| ahu| hgg| gxh| qlv| vxl| yhj| bqi| igv| vxa| ocq| aha| uro| elw| lfi| ayq| rlv| zza| akg| ogk| uin| ves| cis| ham| agz| vys| bhp| aoi| jdk| xre| xpf| psh| xzz| obf| djt| apq| fup| azz| woc| ett| nzk| coo| jhp| kpv| xnl|