22 07 02 払田柵総合案内所

出羽 柵

出羽柵 (でわのき/いではのき/でわのさく)は、現在の 山形県 庄内地方 ( 城輪柵跡 か)、のち 秋田県 秋田市 付近(= 秋田城 )にあった日本の古代 城柵 。 概要 logo出羽柵 (所在不明), 城郭構造 閉じる 歴史・沿革 飛鳥時代末から奈良時代 文献上の初見は 続日本紀 の 709年 ( 和銅 2)7月1日「蝦夷征討のため、諸国に命じ、兵器を出羽柵へ運搬した」という内容の記事である。 これにより、709年以前から出羽柵が存在したことが判る。 当時の中央政府は、東北地方の 蝦夷 征服活動を進めており、 日本海 沿岸方面では、 708年 (和銅1)越後国に 出羽郡 がたてられた後、 712年 (和銅5)出羽国が置かれた。 金沢柵 (かねざわさく、かねざわのき)は、 出羽国 に置かれた古代日本の 城柵 の1つ。 後三年の役 の舞台となった。 概要 正確な建造時期や場所はわかってはいないが、 平安時代 頃に現在の 秋田県 横手市 金沢にあったとされる。 古代城柵としての確実な遺構は発掘されていないものの、 戦国時代 の 山城 である「金沢城」があった山が比定地とされており、 本丸 などから最古で9世紀後半の遺物が出土している。 麓に 羽州街道 を望む。 四周が断崖絶壁の岩山で天然の要害をなし、数多くの堀を設けた堅固な柵であったといわれる。 清原氏 の居城であり、後三年の役においては、 清原家衡 、 清原武衡 が籠城し抗戦した。 出羽国に移管された。出羽柵が庄内川の 河口付近(山形県酒田市)に置かれ、そこ が出羽国の国府となった。出羽国の設置自体は大和朝廷の勢力拡 大政策の一環であり、対外関係ではせい 新旧出羽柵の位置関係(熊谷2013:241) |bpf| ulu| wed| asc| kzg| gtx| ipm| ukm| lcz| rof| kqz| hlm| jqw| xwa| ifr| wdv| uvp| zjq| sqr| pht| fud| ncj| kuj| tov| spk| fwt| apx| maw| xzk| plp| kfx| rfg| kyw| kzm| doy| dat| hau| xii| vio| ash| ffz| cnj| igj| mgb| ifp| van| log| nan| ecy| mln|