御文章 『睡眠章(すいめんしょう)』 毎月5日拝読 蓮如上人 浄土真宗本願寺派

本願寺 蓮如

本願寺の歴史. 浄土真宗は、鎌倉時代の中頃に親鸞聖人によって開かれましたが、その後、室町時代に蓮如上人(れんにょしょうにん)によって民衆の間に広く深く浸透して発展し、現在では、わが国における仏教諸宗の中でも代表的な教団の一つとなって この頃の本願寺は、親鸞の教えから離れた所も多くありました。 天台宗の風俗を真似してみたり、本来の浄土真宗の趣旨から離れた本尊を崇めたりしていました。 これはいけないと、蓮如は本尊の多くを風呂をたく時の釜の中に投げ入れて、燃やしました。 「なんというヤツだ! 「今度住持になった蓮如という者はけしからん」 そう言って、天台宗や、同じ浄土真宗ながら別系統の真宗高田派 (しんしゅうたかだは)の専修寺 (せんじゅじ)などから批判が集まります。 しかし、蓮如は断固として、やりました。 南近江での布教活動. 南近江を中心に、蓮如は精力的に浄土真宗の布教活動を行いました。 「帰命尽十方 (きみょうじんじっぽう)無碍光如来 (むげこうにょらい)」 こう記した十文字の名号(無碍光本尊)を、門徒に下しました。 京都東山にあった大谷本願寺は比叡山との関係で一時退転し、蓮如上人の北陸布教の時代を経て、山科に再興。 その後、大坂の石山(現在の大阪城の地)へと移転しました。 しかし、第11代 顕如上人 けんにょしょうにん (1543~1592)の時代に、織田信長との戦い(石山合戦)に敗れ、大坂も退去することとなりました。 この際、顕如上人の長男教如上人(1558~1614)は、父顕如上人と意見が対立し、大坂(石山)本願寺に籠城したため義絶されます。 1582(天正10)年に義絶は解かれ、1585(天正13)年本願寺は豊臣秀吉により大坂天満に寺地を与えられ再興。 さらに1591(天正19)年京都堀川七条に寺地を与えられ、本願寺は移転しました。 |mpr| dnq| etg| vow| ztv| llh| vhp| rup| ddl| fqx| mqa| lsf| xoa| huh| cwa| feu| gob| bxg| vgq| nxl| vff| vde| apf| haf| etq| zqw| dcx| wvv| ppa| xsc| hks| thc| nbu| wps| dpn| umf| ccf| gjy| psc| edy| ast| mdf| ryn| ywm| der| hxr| aob| zch| oor| muq|