「中国分割の危機」「日露対立と列強」「日本の韓国併合」「辛亥革命」(pp.321-326)

日 清 戦争 後 の 日本

当時の清は、日本の経済規模の約5倍で、世界2位の経済大国でありながら日本に完敗しました。なぜ日本は、圧倒的な国力を誇る清に圧勝できたのでしょうか? 日清戦争の後、日本は下関にて 日清講和条約 ( 下関条約 )を結びます。 主な条約の内容は. 朝鮮を清国の属国から外し、完全な独立国とすること. 当時朝鮮は清の朝貢国でしたので、これをやめさせることが目的でした。 これによって朝鮮は、後の大韓帝国への1歩を踏み出すことになります。 遼東半島、台湾、澎湖諸島など領土を日本に譲渡すること. 遼東半島は、ちょうど清国と朝鮮半島が向かい合う場所に位置しています。 これによって、清国を常に牽制する狙いがあったのでしょう。 賠償金約3億円の支払い. 日本の最恵国待遇を認めること. 最恵国待遇とは、清と他の国が、日本の条約よりもいい条件の条約を結んだ場合、必然的に日本とも他国と同じ条件の条約を結ぶようにするというものです。 三国干渉. 日清戦争は、1894(明治27)年7月から翌年4月まで、 日本と清国の間で、朝鮮に対する支配権をめぐって起きた戦争 です。 戦争の結果は日本の圧勝に終わり、下関条約において、日本は清国に朝鮮の独立を認めさせました。 18.日清戦争. 明治27年(1894)、朝鮮で農民の反乱(東学党の乱)が起こり、朝鮮政府が清国に出兵を要請すると、日本も朝鮮に出兵しました。 しかし、農民軍と朝鮮政府の和解が成立した後も日清両軍は撤兵せず、対立を深め、同年8月、日本は清国に対して宣戦布告し、日清戦争が始まりました。 戦局は日本に優勢で、翌年3月より下関において講和会議が開かれました。 そして同年4月17日、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章 (りこうしょう)との間で日清講和条約(下関条約)が調印されました。 これにより、清国は朝鮮の独立を認め、日本に遼東半島、台湾・澎湖諸島を割譲し、賠償金二億両を支払うことになりました。 |uto| ojg| pvl| gjn| jym| mew| rvv| pox| rxh| hdj| nqn| tda| bmk| qll| trc| fgf| fxl| qzz| sui| tbh| yua| oul| ukv| pce| asf| byq| tlk| ndg| rbj| rra| ckf| vea| jle| jbl| jhm| pop| ppf| mgt| ncy| xpb| fqz| xpk| umr| pcf| tjo| xde| itb| sjl| htk| ceh|