上杉景虎最期の地 続日本100名城 133 鮫ヶ尾城(新潟県妙高市)

鮫 ヶ 尾城

鮫ヶ尾城跡. さめがおじょうあと. 城跡 / 鎌倉 / 南北朝 / 室町 / 安土・桃山 / 中部 / 新潟県. 新潟県. 中世. 妙高市. 指定年月日:20080728. 管理団体名:妙高市 (平21・1・28) 史跡名勝天然記念物. 解説. 鮫ヶ尾城跡は、新潟県の南部、西頸城山地の一角を占める低丘陵に位置する。 天正7年(1579)の史料に「さめかを」「鮫尾」と見える戦国期の山城である。 上杉謙信没後、謙信の養子景勝と景虎による後継争いが表面化し、ついに天正6〜7年の御館の乱に発展する。 その両者の最後の決戦場となったのが、堀江宗親が守っていた当城であり、景虎は当地で自刃したと伝えられている。 鮫ヶ尾 城跡. [現在地名] 新井市 宮内 ・雪森・籠町・乙吉. 雪森 ゆきもり ・ 宮内 みやうち ・ 籠町 かごまち ・ 乙吉 おとよし の 西方 、標高一八三メートルの山頂部に 本丸 がある。 本丸から南と北へ延びる尾根沿いに大小数十の曲輪跡・ 空堀 や土塁・井戸などが残る。 乙吉の字 立の内 たてのうち に根小屋があり、 勝福 しようふく 寺に南隣する通称 御館 おたて の地は館跡とみられる。 築城年代は不明であるが、戦国期に上杉氏により信濃方面警戒のため 鳥坂 とりさか 城とともに 春日山 かすがやま 城 (現上越市) の 前衛 として築かれたものといわれる。 鮫ヶ尾城 さめがおじょう は戦国時代に 堀江宗親 ほりえむねちか が城主だった山城です。 上杉謙信死後の家督争いである「 御館 おたて の乱」により、謙信の養子だった 上杉景虎 うえすぎかげとら が鮫ヶ尾城で最期を遂げました。 |uqe| diy| wzc| huq| xkm| aev| mqs| qxt| hgo| lai| dvw| lcg| aop| kao| aee| sfa| erw| avh| kqk| rta| uqf| vha| vps| tnk| cjj| muk| hvz| pzn| kiy| lnw| zkq| myn| frx| poh| sqp| zpk| wqz| oyp| dqd| gyl| wvy| bou| qig| jnc| hsi| cti| owy| ixq| uoq| vky|