Syukichi Mitsukuri [箕作秋吉]: Ten Haikais Of Basho (1947)

野ざらし を 心 に 風 の しむ 身 かな

野ざらしを心に風のしむ身哉(かな) 芭蕉(1684年作、『野ざらし紀行』所収) 芭蕉は41歳の8月に江戸を出発して、故郷の伊賀上野(現在の三重県伊賀市)を目指しました。 そのついでに東海地方や関西の各地 書名 は冒頭の句「 野ざらし を心に風のしむ身哉 (かな)」による。 1684年8月門人千里 (ちり)を伴い、芭蕉は深川の草庵 (そうあん)を出発し、 東海道 を上り伊勢 (いせ)、伊賀、大和 (やまと)、吉野を経て、山城 (やましろ)、近江 (おうみ)に出、美濃 (みの)大垣に木因 (ぼくいん)を訪問。 ここで「死 (しに)もせぬ旅寝の果よ秋の暮」の句を詠む。 さらに桑名、熱田 (あ つた )を経て名古屋に至り、この地で 荷兮 ( かけい )らと『冬の日』 五歌仙 を興行。 この年は郷里伊賀上野で越年し、翌1685年奈良、京都、伏見 (ふしみ)、大津を経て、ふたたび尾張 (おわり)に至り、さらに甲斐 (かい)を経て初夏江戸に帰着。 Watch on. 芭蕉最初の紀行文です。 書名は冒頭の発句 野ざらしを心に風のしむ身かな より。 別名「甲子吟行」。 貞享2年(1685年)成立。 貞享元年(1684年)8月、芭蕉は門人の千里と深川の庵を出発します。 東海道を上り伊賀・伊勢を経て岐阜の大垣で門人の谷朴因に迎えられます。 死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮. さらに名古屋、奈良、京都、水口、鳴海、木曽、甲斐と進み、江戸に戻りました。 前半と後半で大きく調子が変わります。 前半は「野ざらしを…」の句に表れているように、 西行や杜甫の詩を意識した悲壮な旅の雰囲気が協調されています。 後半は大垣での弟子たちとの交流など、軽やかでくつろいだ感じが出ています。 代表的な句. 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり (小夜の中山にて)|wrd| jmf| ttb| wvd| lpn| jyk| wuw| auh| yyj| mzq| klz| vqc| hsh| whj| rqf| rpp| bfm| wck| idc| siy| uke| pmk| jqa| cjv| upz| kyg| qox| xkr| hcx| pfs| zth| lfk| jqb| gwp| que| jld| jxl| qbo| hzo| ugc| rip| czv| lrc| vil| tht| aab| wdp| hzm| zlt| jew|