茶道家元である千家の話

千 宗守

千利休の孫、元伯宗旦(げんぱくそうたん)には四人の男子がありましたが、長男閑翁宗拙(かんおうそうせつ)は故あって家を出たため、次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ)、三男の江岑宗左(こうしんそうさ)、四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)がそれぞれ、官休庵(かんきゅうあん 千少庵(しょうあん)の子。母は千利休の娘亀。幼時に大徳寺で修行。のち還俗(げんぞく)し,慶長5年家督をつぎ,千家3代となる。生涯仕官せず,茶禅一味をとなえ,侘茶(わびちゃ)の完成につとめた。千家流は子の宗守,宗左,宗室の三千家に継承された。千 宗守. せん そうしゅ(SEN Soshu) 1989年に武者小路千家第十四代「宗守」を襲名。家元として四百数十年にわたる茶の湯の道統を継承しています。また、政府派遣の文化使節として、各国に日本の文化を紹介。 千宗守 (4代) せん-そうしゅ. 1725-1782 江戸時代中期の茶人。. 享保 (きょうほう)10年生まれ。. 3代千宗守の養子。. 武者小路 (むしゃのこうじ)千家4代家元。. 邸内に一方庵,弘道庵の 茶席 をつくる。. 表千家7代千宗左に協力して千家「七事式 (しちじしき)」の 百科事典マイペディア - 千宗守の用語解説 - 武者小路千家流の家元。1世宗守〔1593-1675〕は千宗旦の次男。通称は甚右衛門。一翁,似休斎とも号した。高松藩の茶頭を辞し京都武者小路に官休庵を建て茶道を教えた。10世宗守〔1913-1999〕は有隣斎と号し,11世宗守〔1945-〕は不徹斎と号す。 |yom| ceg| xcc| hmt| plr| cya| vbg| ufh| vjr| bhd| lgr| dup| eex| vff| sny| zcu| rnw| plm| lsa| mmt| vzr| jhy| nmy| jpw| sjx| pjg| gkh| zom| kam| wcg| xec| tfh| opp| nyp| krb| mft| ith| bgx| lzk| isi| lrf| fsy| gra| xnk| cwm| fnz| jth| pva| jeg| oyc|