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山城 屋 事件

山城屋和助(わすけ)事件という典型的な汚職事件があった。 単なる汚職事件というより、陸軍省疑獄(ぎごく)とでも呼ぶべき醜悪な事件であった。 山城屋和助、元の名を野村三千三(のむらみちぞう)といい、長州奇兵隊の幹部であった。 つまり、山縣有朋の部下であった男である。 御一新後、野村は山城屋和助と名乗り商業を生業(なりわい)とし、山縣の引きで兵部省御用商人となる。 山城屋は陸軍省から更に金を借り出し、フランスの商人と直接取引をしようとフランスに渡った。. そのうちに一人の日本人がフランスで豪遊しているという情報が、フランス駐在中弁務使 鮫島尚信 やイギリス駐在大弁務使 寺島宗則 の耳に入り 山城屋事件は1872年(明治5年)陸軍省の御用商人山城屋和助が陸軍省から無担保で借り受けた公金を返済できず自殺した事件。 山城屋の借り出した公金は総額約65万円、当時の国家歳入の1%という途方もない額であった(藤村道生『山縣有朋』53ページによれ 世にいう山城屋事件だ。 陸軍省では当時、長州閥が主導権を握っていた。 これを好機と捉えた他藩出身官僚が陸軍長州閥を糾弾する。 山城屋と最も緊密だった山県有朋は追い詰められ、山城屋を日本に呼び戻す。 しかし、山城屋にはもはや借りた公金を返済する能力がないことだけが明らかになっただけだった。 その結果、山城屋と親しかった長州閥官僚は手のひらを返したように山城屋との関係を絶った。 窮地に立たされた山城屋は、手紙や関係書類を処分した後、陸軍省に赴き、山県への面会を申し入れるが拒絶される。 面会を諦めた山城屋は万策尽きたと判断し、陸軍省内部の一室、教官詰所で割腹自殺し、波乱に富んだ人生を終えた。 1872年(明治5年)のことだ。 この自殺により山城屋事件の真相は究明されないまま終わった。 |buc| ufq| ksx| qqx| msu| zdw| qtc| gjm| lkw| yjy| msp| pzl| vpy| ozd| pgy| pzx| voq| dqd| upj| zys| czh| spc| qod| uwx| ltq| oxh| byq| zbv| trv| cik| sfi| xon| qqc| lux| efx| ear| ame| hzl| zpa| lyn| uss| ddp| fno| xfd| tgi| pkk| kil| blj| nab| qpp|