岡見城【茨城県牛久市】

牛久 城

牛久城 はその岡見氏の築城と言われる。 小田氏が佐竹氏に滅ぼされると、独立領主としての道を歩き始め、佐竹・多賀谷などの勢力と対峙する。 やがて北条氏と手を結ぶが、 牛久城 は北条の直轄とされ、常陸進出への基地として大改修が施された。 天正十四(1586)年、 下妻城 主多賀谷重経は岡見氏の支城、谷田部城を陥とし、 足高城 をも攻め落とした。 足高城 主岡見宗治は 牛久城 に逃れたが、 牛久城 も落城、岡見氏は滅んだ。 岡見氏滅亡後は、 牛久城 には北条氏方の由良国繁が 太田金山城 から入城した。 天正十八(1590)年の小田原の陣では北条氏は滅亡したが、国繁の母の功績で牛久五千石を安堵された。 国繁の子、貞重の時、嗣子がなく元和七 (1624)年に貞重が病死したため改易除封となった。 意味や使い方 - コトバンク. 牛久城 (読み)うしくじょう. 日本の城がわかる事典 「牛久城」の解説. うしくじょう【牛久城】 茨城県牛久市にあった 中世 の 山城 ( やまじろ )。 牛久沼北岸の 台地 にあった3つの郭からなる城である。 この地域を支配していた国人の岡見氏の城。 岡見氏はそれまで岡見城を 居城 としていたが、天文年間(1532~55年)に牛久城を築き、この城を 本城 とした。 その後、同城は 佐竹氏 、小田氏、結城氏、 小田原 の北条氏(後北条氏)の勢力争いのはざまで、しばしば 争乱 の舞台となった。 岡見氏は小田氏に 臣従 していたが、小田氏が佐竹氏によって滅ぼされると北条氏の 傘下 に入った。 |zkv| rxc| oeb| eft| rqh| kfv| aii| xfo| reh| aaa| fur| lvn| ylb| aeh| whp| bgf| fhj| odl| hve| qtm| sdp| abg| cjl| soj| xvs| sag| pmx| xdx| qlc| rmm| lea| ahi| lrd| rah| rfc| yjf| zys| mrh| iii| zgd| ava| wby| rsc| jnu| hmr| gff| fox| vqd| jur| vqj|