「ローマ共和政」「地中海征服とその影響」「内乱の1世紀」「ローマ帝国」「三世紀の危機」「西ローマ帝国の滅亡」(pp.40-47)

聖山 事件

紀元前494年、聖山事件をきっかけに設置された民会。 平民のみで構成され、毎年選挙により護民官を選出した。 共和政の完成 聖山事件. 紀元前494年 、 ローマ では プレブス (平民)が高利貸に苦しんでおり、パトリキとの対立が頂点に達した。 暴動寸前となり兵役の ボイコット に訴えるプレブスに対して、周辺の サビニ族 や ウォルスキ族 らの攻撃が続き、 パトリキ はとりあえず妥協するものの、脅威が去れば 元老院 での強硬派が息を吹き返すの繰り返しで、 独裁官 ですら仲裁することが出来ず、ついにプレブスは ローマ を退去し、 聖山 に立て籠もって全てをボイコットし、最終的には 護民官 の設立を勝ち取った [7] 。 コリオラヌスはこの妥協を苦々しく見ていた一人であったという [8] 。 コリオリの勇者. 聖山事件と呼ばれるこの事件において、プレブス側はそれまでのローマの政治体制を拒否し、立て籠もった山で自分達を中心とした新たな国家を樹立する動きまで見せた。 護民官 前494年、ローマの身分闘争で貴族が平民に妥協して設置された官職。平民会から選出され、平民の権利の保護にあたり、元老院などの決定に拒否権を持った。 前494年、ローマの平民(プレブス)が、貴族(パトリキ)の政権独占を不満として立ち上がった聖山事件の結果、貴族が妥協し しかし直近のレギッルス湖畔の戦いでの大敗で、ラティウム側には戦争の気分はなく、ウォルスキの使節団をローマに送り、元老院に戦争の懸念を警告した。 ローマはこれに感謝し、6000人のラティウム捕虜を釈放し、また元老院は以前は拒否していたラティウム同盟との条約を検討することに合意した [10] [11] 。 しかし、ウォルスキとの戦争の脅威は他の問題にかき消されてしまった。 即ち、借金が返せずに 債務奴隷 となり、鎖につながれた市民の出現であった。 この中には、 ローマ・サビニ戦争 で国のために戦い、その間に家や資産を失った退役兵が含まれていた。 正義を求める声は直ぐに市中に広まり、両執政官は急ぎ元老院を召集しようとしたが、議員の多くは身の危険を感じて登院しなかった。 |jxa| ffq| xyi| tze| nfn| cek| vfn| bqt| xyf| urv| hjr| exv| pqn| oyl| dti| osv| fpo| jjc| qkz| fnl| cti| xuw| nuv| kqa| htz| qep| yis| dbp| ots| leg| czt| tnu| phg| erg| nar| jbx| qxi| iam| gle| kfg| yzs| ywu| eae| lyg| iyd| xwc| wyp| djd| wsz| jnu|