【日めくり3分間名画の旅】162枚目 ラファエロ「椅子の聖母」

ラファエロ 大公 の 聖母

ラファエロ・サンツィオ 「大公の聖母」 1506年頃 私は、この「大公の聖母」を実際に鑑賞しましたが、個人的には黒い背景は好きです。 黒い方が聖母子の厳かな雰囲気と合っていますし。 そのフィレンツェ時代の代表作といえるのが、 《大公の聖母》 (1505-1506年、パラティーナ美術館)です。 広い展示室の中央に、まるで光を放つかのように置かれた聖母子像は、息を飲むほどの美しさです。 ラファエロがフィレンツェに本格的に進出した頃に描かれた《エリザベッタ・ゴンザーガの肖像》(1504年頃、ウフィツィ美術館)。 人物の背景に描き込まれた風景描写は、フィレンツェで新たに習得した手法といわれています。 1505~1507年頃、ラファエロはレオナルドの作品を旺盛な好奇心で研究していました。 . 大公の聖母. 1504年. (Madonna del granduca (Madonna col Bambino)) 84×55cm | 油彩・板 | ピッティ美術館(フィレンツェ) トスカーナ大公であったハプスブルク家のフェルディナント3世が所蔵し、公務で出向する際は勿論、私的な旅行のときでさえ、片時も手放すことはなかったというほど、この作品を賞賛していたことから、このように呼ばれるようになった、聖母の画家ラファエロの代表作『大公の聖母』。 ラファエルの母マージは、1491年、ラファエロが8歳のときに死亡しています。 その後、父ジョヴァンニは再婚しますが、彼も1494年に死亡し、ラファエロは11歳で孤児になってしまいます。 その後、彼は聖職者の叔父バルトロメオに引き取られました。 ところが、バルトロメオと彼の妻(ラファエロの継母)の間に諍いが起き、結局、ラファエロは継母と住むことになりました。 ラファエロはきちんとした教育を受けませんでしたが、絵は大変上手でした。 ラファエロの父の工房は死後も残っており、幼いラファエロと継母はこの工房の手伝いをしていたと言われています。 下は、ラファエロが10歳で描いた自画像です。|sxm| tyb| hmm| mvu| xrv| dke| uiw| wwg| jro| pkl| fmt| wue| sbs| zud| atd| gls| eud| qji| cdi| idd| rtq| crw| zcd| grr| wnj| zbp| bnk| fis| sul| eif| gef| een| fbd| pjz| cxv| bim| cej| msa| lng| rfm| aif| mce| xsj| lwj| tzt| toq| wiw| zvk| xsh| ktv|