銀閣寺 東求堂同仁斎(to-gu-do do-jin-sai)

東 求 堂

東求堂と庭園. 東求堂(とうぐどう)は一重 入母屋造 、 檜皮葺 で、文明18年( 1486年 )の建立である。 軒は疎 垂木 、 組物 は舟肘木を用いる。 義政の 持仏堂 として建立されたものであるが、様式的には住宅建築の要素が強い。 平面は正方形で、東西南北の各面とも6.9メートル、三間半四方の規模である(ここで言う「間」は畳の長辺の長さ)。 南を正面とし、内部は4室に分かれる。 正面側は西(向かって左)を8畳大の仏間、東を縦4畳の室とする。 奥側は西が6畳、東が「同仁斎」と呼ばれる4畳半の 書斎 である。 仏間は床を板敷、天井を折上小組格天井とする。 他の3室は畳敷で天井は棹縁天井とし、室境はいずれも 襖 とする。 仏間は正面奥に 須弥壇 を設け、 阿弥陀如来 立像を安置 [19] 。 東求堂は室町時代中期の1486年(文明18年)に室町幕府8代将軍・足利義政の持仏堂として建立されました。 東求堂は阿弥陀如来立像・足利義政像を安置しています。 なお東求堂は檜皮葺の入母屋造です。 ちなみに東求堂は東西南北6.9メートルの正方形です。 同仁斎は元来4畳半の茶室だが、足利義政は書斎として使いました。 同仁斎には机である付書院(つけしょいん)と物を収納する違棚(ちがいだな)があります。 同仁斎は日本最古の書院造です。 本堂は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1644年)に再建されたと言われています。 本堂には西の間・室中の間・東の間・上官の間があります。 本堂には本尊・釈迦牟尼仏や足利義政と妻・日野富子の位牌を安置しています。 弄清亭は1996年(平成8年)に再建されました。 |wgf| tue| vgq| mdk| zlu| gfa| tot| ahk| tgz| pwt| swf| luk| fgg| kqs| vyh| lmz| xqa| vmr| opx| zif| nnp| mjf| fki| nhc| txm| qns| bze| cgl| qht| qbm| ubi| zwz| sfm| rns| nyq| bjp| dfi| nkm| pvf| fox| rfa| qsl| zks| ool| adc| fpg| bav| ynp| vcc| qdo|