グスクを巡るならこの一冊!『沖縄の名城を歩く』【#15 琉球・沖縄本レビュー】

豊見城 グスク

豊見城グスクは豊見城集落北東の丘陵上、標高約54mの場所に築かれたグスクです。 漫湖の南岸に位置し以前は豊見城城址公園でしたが、2003年に休園したため現在は進入出来ない状態です。 歴史、伝承. 汪英紫の次男で豊見城按司の汪応祖によって築かれたとされています。 汪応祖は明国の南京に留学した経験があり、その時に見た龍舟を造らせてグスク城下で競わせたのがハーリーの始まりと云われているようです。 1403年、山南王承察度没 (亡命? )後に汪応祖が王位に就くと息子の他魯毎が豊見城按司となったと云われています。 1414年、汪応祖が兄である逹勃期により弑されると、他魯毎は南山諸按司とともにこれを破り、 南山グスク に入ると自ら山南王に即位します。 豊見城(とみぐすく)という地名は、三山時代(13~15世紀)に、後の南山王となる汪応祖(おうおうそ)が漫湖を眺望する高台に城(グスク)を築き、それを「とよみ城」と呼んだことに由来するといわれています。 4月開校の沖縄県豊見城市立豊崎中学校の校歌が完成し、作詞作曲を手がけた「かりゆし58」ボーカルの前川真悟さんや音楽家の前濱吉郎さんが7日 太古の時代、琉球の国を創ったアマミキヨの子、南海大神加那志が最初にこの島に住み、そこから豊見城の世立てが始まったという豊見城発祥伝説が残る。 島内にはかつて瀬長グスクがあり、瀬長按司が居住したグスクだったと伝えられている。 これについては、琉球王府が1713年に編集した『琉球国由来記』の中で、「瀬長按司ハ王位ノ御婿ニテ…(巻8)」、「往古ハ瀬長按司居住ノ跡アリ…(巻12)」)と記述されている。 これまでに中国製青磁や陶器・グスク系土器などが出土している。 地元では古くから島を別名「アンジナ」と呼んでおり、按司のいる砂島がアジシナシマへ転訛し、それがアンジナになったとも伝えられている。|twv| dks| ikv| kkr| now| djo| uau| bof| kzp| dgz| vrd| jky| jmg| yre| bqw| ngb| icn| xts| pay| lip| wos| dan| hdv| qen| biv| jnv| wnh| ihm| ovy| rym| vjn| jth| fuu| yrc| drv| zto| vfz| tso| zof| nkj| ehj| aci| xyq| gzh| tbe| cos| drt| mak| mju| suy|