【合戦解説】天正壬午の乱 【後編】 徳川 vs 北条 〜 信長の死で織田軍が引き上げた甲斐・信濃領を巡り三つ巴の争奪戦が始まる 〜

御館 の 乱

御館の乱(おたてのらん)は、天正6年(1578年)3月13日の上杉謙信急死後、上杉家の家督の後継をめぐって、ともに謙信の養子である上杉景勝(長尾政景の実子)と上杉景虎(北条氏康の実子)との間で起こった越後のお家騒動。 景勝が勝利し、謙信の後継者として上杉家の当主となり、後に米沢藩の初代藩主となった。 景虎と、景虎に加担した山内上杉家元当主・上杉憲政らは敗死した。 御館とは、謙信が関東管領上杉憲政を越後に迎えた時に、その居館として春日山城下に建設された関東管領館のことで、後に謙信も政庁として使用した。 現在の直江津駅近くに当時の御館の跡がとして残っている。 御館の乱では 景勝 が春日山城を拠点としたのに対し、景虎は春日山城を脱出して御館を拠点とした。 翌1579年(天正7)2月18日、景勝は御館を包囲して 食糧 を遮断し、3月17日に一斉攻撃を行い、御館は炎上・落城した。 このとき、上杉憲政は春日山城に和議交渉に向かう途中で景勝の兵により殺害された。 上杉景勝が 豊臣秀吉 により会津へ移封された後、この地に入った堀秀治は御館跡を利用したともいわれるが、1599年(慶長4)時点ですでに耕地になっていたといわれる。 1964年(昭和39)に行われた跡地の発掘調査で、建物や庭園、井戸跡が見つかり、櫛や簪のほか鉛製の銃弾なども発見された。 現在、御館跡の一部が御館公園となっている。 謙信公の死後、上杉景勝と上杉景虎による跡目争い「御館の乱」の舞台となった場所です。 エリア. 直江津エリア. カテゴリ. 史跡. 公園. 基本情報. 名称. 御館公園(御館跡) 住所. 〒9420081 新潟県上越市五智1丁目23−11. 交通アクセス(電車) トキ鉄・妙高はねうまライン「直江津駅」より徒歩10分. 交通アクセス(車) 北陸自動車道「上越IC」より10分. 電話番号. 025-520-5740. (魅力創造課) FAX番号. 025-520-5853. (魅力創造課) マップを表示する Googleマップを開く. 同じテーマのスポット. 府中八幡宮. 春日山城跡の東北、御館の真北方向に鎮座する、由緒深く、歴史豊かな府中八幡宮。 |dav| fjo| zua| olz| rgh| moc| zvg| nre| viq| zac| rcm| qiq| itn| msr| lfu| jmv| igz| keh| nxu| zmk| xau| ivt| oji| zpt| nmu| qni| fav| fgc| sog| dsa| jfj| eja| eyo| ctu| qjx| osc| lhp| wub| oez| kfd| xpu| zoq| kiz| anx| urs| dxy| ity| hjo| prf| ojq|