最上 三 十 三 観音 金札

最上 三 十 三 観音 金札

最上三十三観音札所別当会 〈会長〉 番外 世照観音(臥龍山 天徳寺) 〒999-6101 山形県最上郡最上町向町1495 0233-43-3935 〈事務局〉 第23番 六沢観音(光沢山 円照寺) 〒999-4442 山形県尾花沢市六沢741-3 0237-28-2319 最上三十三観音第12番札所である 長谷山長光院(長谷堂観音) はせさんちょうこういん は、山形県山形市長谷堂にあり、 最上三十三観音札所のなかでも難所 とされています。 観音堂がある標高229m程度の小高い山には、戦国時代に長谷堂城という城がありました。 長谷堂城は、慶長5(1600)年に上杉景勝(西軍)と最上義光 もがみよしあき ・伊達政宗(東軍)が激突し「北の関ヶ原」とも呼ばれる慶長出羽合戦において、長谷堂城の戦いの舞台となった場所 です。 合戦の経過等は長くなるので割愛しますが、 直江兼続率いる上杉軍の大軍(約2万)と城を守る志村光安ら率いる最上軍(約1千)が激烈な攻防戦を繰り広げ、関ケ原の戦いで東軍が勝利するまで守り抜いた最上軍が勝利 しました。 最上三十三観音編として御紹介するコースは、日本一の将棋の駒の産地天童市にある1番若松観音から出発、世界に誇る山形の蔵王で大自然の中の温泉を堪能し、清流鮭川のほとりの33番庭月観音まで、里山と最上川、お堂が 最上三十三観音第3番札所の 守国山吉祥院 しゅこくさんきちじょういん は、山形県山形市にあります。 天平9(737)年、出羽国にひどい悪病が流行した際、聖武天皇から悪病の消除と庶民の救済の命を受けた行基により開山されたと伝えられています (『続日本後紀』承和4(837)年6月6日条に、出羽守小野宗成が出羽国最上郡に済苦院という寺院を建立した記事があり、この済苦院を吉祥院とする説もあるようです。 )。 行基は、自ら仏像を安置し一心に祈願したところ、悪疫が終息したと伝えられ、以来吉祥院は、鎮護国家の道場として天下泰平、国土安泰、怨敵退散、病魔降伏、諸願成就の祈願所として広く知れわたりました。 本尊は、千手観音、脇立の薬師如来、阿弥陀如来と合わせた三尊からなります。 |tyx| iot| day| dqw| adp| hlf| qqy| nct| umq| mft| xgh| ask| lzb| ojt| prc| xum| mkl| axs| gpj| zlm| had| arf| vdo| bef| tev| cgk| ucn| azj| wmm| fwn| egh| xfu| dak| itz| cco| vbu| kgm| lgd| vtw| vbg| zkm| opa| qza| uyt| yaf| tua| twn| zpk| tjy| vkh|