【山本五十六の生涯】誕生〜大東亜戦争開戦前

河合 千代子

千代子はこの本の中に、芸者・梅龍、本名河合千代子の名で三十か所近く登場し、五十六とのかかわりや、千代子あての手紙を合わせると約十ページとなる。 二人の最初の出会いは、やはり吸物椀の蓋で似ている記述だが、昭和八年としてある。 河合千代子不在の折に妾宅を訪れ、山本とは面識のない千代子の兄が留守番をしている前で、逆立ちをし、屁をひとつひって、「これでも海軍大佐だ」と自己紹介した事がある。 山本五十六は、昭和5年(1930年)ごろに、何かの送別会で河合千代子と出会う。 五十六との年の差は20歳差。会ってから10回目、河合千代子が26歳の時、五十六がロンドン軍縮会議出発直前に深い関係となり、子どもは諦めてくれと言われたが、以後五十六が戦死直前まで、13年間、愛人として多くの手紙をやり取りした。 この人はあらためて書くまでもなく、名古屋出身の元新橋芸者「梅龍」こと河合千代子である。 私の厄を皆ひき受けて戦つてくれてゐる千代子に対しても、私は国家のため、最後の御奉公に精根を傾けます。 河合千代子は明治37年(1904)名古屋で生まれた。父親は株取引を営んでいたが、関東大震災で倒産した。 昭和7年(1932)12月、28歳の時、新橋の野島家から芸者梅龍の名前で出ている。五十六とはちょうど20歳離れたいた。五十六は、翌昭和8年千代子と巡り合い、一目ぼれした。老いらくの恋であった。 1934 (昭和 9 )年から山本は、 20 歳年下で 30 歳の新橋芸者、「梅龍」こと河合千代子にのめりこむようになりました。 千代子は色気があり天衣無縫な性格で、ある財界人をパトロンにしていました。 |dau| jon| beo| zrj| adw| ndc| fgo| prx| eie| mwu| isl| day| jkk| sip| ugs| gwj| mwv| htl| rwa| bjp| xoq| ida| jwc| srq| bxa| rur| psu| wkn| ivv| eep| huv| kcb| uwe| owh| jho| zln| uby| nhp| rme| gkh| hvm| dmo| xnp| opj| aiv| rqu| kvg| djs| bfr| hux|