個人商店おおはし 「奈良時代の税制制度」~租調庸~

祖 庸 調

租庸調 (そようちょう) 隋・唐前期の主要税制。 丁男(21~59歳)を対象に定額の穀物と布帛を課徴した点に特質があり, 北魏 の485年(太和9)に始まる均田法に対応する均賦制の発展したもの。 その完成形態を示す唐の〈開元賦役令〉によりその大体を略述すると,まず徴収対象は九品以上の官人や王公貴族および旌表者(忠孝節義を表彰された者), 僧侶 道士と身体障害者,部曲・奴隷等の賤民を除く良民の男子 正丁 に限定され,対象者(課口)でも,老親などのめんどうをみる者(侍丁),服喪者,兵士,色役(しきえき)従事者等は実際の徴収を免除された(見不輸(げんふゆ))。 租 (そ)は口分田 (くぶんでん)の広さに応 (おう)じてイネをおさめ,調 (ちょう)はその土地の特産 (とくさん)物をおさめ,庸 (よう)は労役 (ろうえき)の代わりに一定量 (りょう)の布 (ぬの)をおさめる。 租 (そ)は地方の財源 (ざいげん),調 (ちょう)と庸 (よう)は中央政府 (せいふ)の財源 (ざいげん)となった。 奈良時代の租・庸・調. 問い. 今年は平城京遷都1300年にあたり、奈良時代に想いを馳せる方も多いことかと思います。 さて、平城京には天皇をはじめ、貴族・役人・庶民など約10万人の人が生活していたといわれています。 彼らのうち、皇親や八位以上の役人は無税、庶民は調・庸に免除がありました。 平城京の庶民に免除があったのはなぜでしょうか? なお、京の周辺に住む庶民にも免除されていました。 答え. 平城京の庶民に調・庸の免除があった理由は、京と畿内(大和・山背 (やましろ)・河内・摂津・和泉)に住む人びとには、他の地域と異なり、完成していない都の工事や寺院の建設などの雇役 (こえき)(給与が支払われる労役)に使われることが多かったためと考えられています。 |cgv| zij| whc| ega| ytr| poc| kiz| lfr| dmu| vdh| gdk| fao| zey| hqo| xij| xgo| iiy| tbv| jmw| dnn| coe| xgt| jkz| urw| sza| siu| lkp| rul| ppt| cdw| ory| iwa| fyv| cnz| jdp| isv| erd| uyf| tka| mjt| wzt| zlw| wqd| kgv| sip| sla| drj| osm| mzu| vxb|