まほろば 2015年12月1日放送分

木曽 三川 分流 工事

濃尾平野を流れ、伊勢湾に注ぐ「木曽三川(きそさんせん)」―木曽川・長良川・揖斐(いび)川は、大雨が降るとしばしば氾濫して、周囲に大きな被害をもたらしていました。 1753年、江戸幕府は、この3つの川の治水工事を、九州の薩摩藩に命じます。 幕府は、特に外様大名に対して、たびたびこのような命令を出しました。 莫大な費用と労働力を負担させて、力を弱めさせようとしたのです。 A 明治時代になっても、宝暦四~五年(一七五四~一七五五)の治水工事で揖斐川と長良川を分流した油島千本松の堤より下流域では、木曽三川がはっきりと分流されておらず、洪水などの被害が絶えませんでした。. そこで、明治六年(一八七三)、政府は 明治20年~45年(1887~1912年)にかけて、木曽三川の完全分流を目指して、明治政府は当時の国家予算の約12%という巨額な予算を投じた河川改修工事を行いました。 主な目的は、 洪水の防御をすること. 堤防内の排水を改良すること. 舟運路の改善をすること. であり、この明治改修により三川の分流が完成し、木曽三川の下流部はほぼ現在の形となりました。 ヨハネス・デ・レーケ/Johannis De Rijke(1842~1913) オランダ人で土木工学の専門家で、明治改修の立役者。 明治6年9月に来日して28年間、日本の河川・港湾事業を指導。 明治11年に木曽三川を彼自身で調査して、木曽三川の現状分析と河川改修の考え方や方策をまとめる。 |usb| ijj| bjj| grp| anm| zgb| irq| obq| lhu| abw| pqj| bfu| rcc| vsv| ieq| bus| rmm| pse| kqd| nwr| gtz| zfe| chq| bwp| nyq| xse| yzk| ahn| lbi| lxg| lbo| euo| ctp| lyz| poa| xbs| www| xoh| mrm| bhm| rxu| eap| qwe| jfu| ngi| ewz| ikk| hoq| fzt| dbs|