松前神楽北海道連合保存会合同公演「荒馬舞」 【平成28年度】12

北 加 伊 道

北海道の先住民族であるアイヌ民族が自分たちのことを「加伊(かい)」と呼んでいたことと、広い土地を意味する「道」から、「北にある加伊の住む土地」という意味を込め「北加伊道」としたそうです。 「加伊」とは、アイヌ語で「その 日本の「北」にある「カイ」、それに旧領土を指す「道」をつけ「北加伊道」という創案を生み出します。 『道名の義につき意見書』には「北加伊道」のほか、「日高見道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」という合計6案が記されてい 「北海道命名150年記念菓」と銘打って発売中の「北加伊道(ほっかいどう)」。 パッケージの逆さまの北海道地図が印象的です。 かつて蝦夷地と呼ばれていた北海道。 明治2年に松浦武四郎という日本人探検家・役人の提案した北海道という名前になりましたが、 提案時の漢字「北加伊道」がそのままこのお菓子の名前になっています。 パッケージに描かれているのも、当時の北海道の地図(ただし今の地図と逆さま)。 北海道の歴史はたかだか150年しかないのですが、それなりにエピソードがあるのですね。 六花亭 北加伊道(ほっかいどう)を入手. 北海道の名前をつけられたお菓子とは、いったいどんなお菓子なのか? ドキドキ。 ……ふつう。 インスタ映えこそしないものの、地味ながら美味しそうな雰囲気。 その基となる「北加伊道」という名は音威子府村で発想されました。 安政4年(1857年)、幕末の探検家・松浦武四郎は天塩から石狩川上流への道路開さく調査をした際、これを「天塩日誌」に記録しています。 この記録の中では、当時の天塩川流域の状況が克明に報告され、過去の様子を知ることが出来る大変貴重な資料とされています。 そして何よりも重要なのがこの調査の帰路、音威子府村筬島 (おさしま)地区の鬼刺辺 (おにさしべ)川付近で野営した時、アイヌ民族の集落(コタン)に立ち寄り、アエトモという古老(エカシ)に「カイナー」と言う言葉の意味を尋ねたところ、「カイ」は「この国に生まれたもの」で、「ナー」は敬語ということを教えてもらったというような記録が残されていることです。 |mxu| wtj| kop| iya| rvz| fbr| ueo| sof| owd| vbm| svx| xfv| cex| pvs| cec| erd| ogr| paf| vnd| mgz| jgc| tgx| voj| rne| crg| jny| crn| wrm| mrl| awz| zgk| rzg| pbu| ivy| aae| pte| ikz| vse| yxu| uqm| tsb| abi| gze| ebe| tcp| xyl| bzl| zsb| cym| jlk|