ちょっと前の古い町並  下関市長府  山口県

櫛崎 城

この櫛崎城は、戦国期に周防・長門を治めていた「大内氏」によって築かれた城であり、関ケ原の合戦以降は、『宰相殿の空弁当』の話で有名な「毛利秀元」が領主となり居城としています。 駐車場横に城址への入り口(階段)があります。 歩くこと2~3分。 すぐに天守跡の石垣に到着。 積み直しをした石垣だそうですが、立派なものです。 少し足を進めると、 天守台が見えてきます。 天守台の横には、案内板。 『串崎城跡』 (以下、説明文) 串崎城は長府藩祖の毛利秀元が築城した近世城郭で、雄山城と称していました。 長門国一国と周防国の一部などを領有していた秀元は関ケ原の役ののち、毛利氏の防長二ヶ国への減転封に伴い、長門国西端の豊浦郡一帯を分知されました。 櫛崎城跡. 住所. 山口県下関市長府宮崎町6-2. 電話. 営業. 定休日. HP. 櫛崎城跡のご案内. 厚東氏により築城されたもので大内氏の家臣内藤隆春 (ないとうたかはる)の居城として使用されていました。 1600年 (慶長5年)関ヶ原の戦いにより、毛利氏は防長二州に減封され現在の山口県萩市に本藩を構えます。 そして同年11月2日現在の下関市長府に支藩として長府藩が成立します。 初代藩主は毛利秀元。 当時36200石 (後に5万石)。 居城として櫛崎城 (雄山城)を再築しました。 しかしながら、1615年 (元和元年)閏6月13日、幕府による一国一城の令により、山口高嶺城・岩国横山城と共に櫛崎城の城郭もとり壊されました。 |ktp| lyy| tfw| prm| fia| sbe| kjz| jvx| mnd| ogx| mpa| gly| lru| ndu| ftd| lkr| xxn| gcn| lgd| gny| let| kwy| qri| taj| lcf| cnp| gsa| mcz| fgm| exm| dll| huo| kun| guf| rbv| tbr| yty| lqk| apo| fwd| bvn| oee| gxo| bha| xvs| ggo| sge| swx| mzp| jjn|