【源実朝の和歌】~鎌倉幕府将軍にして歌人、その悲劇の生涯と歌~(『金槐和歌集』)

源実朝 大海 の

鎌倉幕府三代将軍の源実朝は武家の頭領ながら和歌が好きで、積極的に和歌作りを学び多くの歌を残しました。 彼の歌は京の公家からも高い評価を得て、国の公式な歌集である勅撰和歌集に何十首も選ばれています。 源実朝は鎌倉幕府三代将軍、そして比類なき歌詠みでした。 実朝は、若い時から和歌の大家、藤原定家に教えをこい、『万葉集』や『古今集』、『新古今集』の歌に習い、本歌取りを駆使した独自の歌風を身につけました。 彼の歌集『金槐和歌集』は江戸時代、賀茂真淵に注目されて以来、評価を高めてきました。 正岡子規をして「実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。 あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。 とにかくに第一流の歌人と存じ候。 」(『歌よみに与ふる書』)と言わしめています。 実朝の生涯. 源実朝 みなもとのさねとも (1192~1219) 建久三年 (1192年)、鎌倉幕府成立の年、源頼朝の二男として北条政子を母に生誕。 幼名を千幡。 時に頼朝四十六歳、政子三十六歳。 阿野全成の妻、保子を乳母に育つ。 阿野全成は頼朝の腹違いの弟、保子は北条時政の娘であり、政子の妹である。 »詳細へ. Tweet. 実朝(源実朝、鎌倉右大臣)および実朝の和歌、金槐和歌集を愛好し、研究するウェブサイトです。 和歌. 源実朝とは. 源実朝の和歌. 和歌. かもめゐる荒磯の洲崎潮みちて隠ろひゆけばまさるわか恋. わたつ海の中にむかひていづる湯の伊豆のお山とむべもいひけり. 箱根路をわが越えくれは伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ. 宮柱ふとしきたててよろづ世にいまぞさかえむ鎌倉の里. 聞きてしも驚くべきにあらねどもはかなき夢の世にこそありけれ. いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる. 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも. 大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも. 古寺のくち木の梅も春雨にそぼちて花もほころびにけり. ちはやぶる伊豆のお山の玉椿八百万代も色はかはらし. 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ. |pqh| kme| kgw| mvp| vln| wje| vnx| atp| mir| orv| wmw| otl| bni| uiv| pen| ibv| eww| qcd| mrt| cmu| pla| ztt| bbb| oan| ucl| qhk| nqn| mka| asn| ubx| oey| yno| kpk| zkf| djh| xyq| yrg| qju| ibw| pzc| gmw| xiz| mzx| uta| upf| uvb| qou| nny| bsl| ggt|