【東洋史スタート!】古代インド史【ゼロから世界史24講】

クシャーナ 朝

クシャーナ朝は中央アジアの大月氏の支配を脱した同じイラン系民族のクシャーナ族が、西北 インド に侵入してつくった国家です。 大月氏は前漢で武帝が張騫に使いを出した民族でしたね。 クシャーナ朝はカニシュカ王(在位130~155頃)のとき最盛期となる。 カニシュカ王は首都をプルシャプラに置き、中央アジアからガンジス川中流域に至る地域を支配した(亜大陸内では四分の一)。 首都近郊に大塔を建立し、第4回仏典結集を行った。 また、この王朝のもとで東西文化の融合が進展し、仏像彫刻に代表されるガンダーラ美術や、大乗仏教が発達した。 その後、王朝はイランに興ったサーサーン朝ペルシア(236年~)の攻撃と、諸勢力の独立によって3cに入ると急速に衰退し、3c半ばころ滅亡した。 大乗仏教の展開は、前1cの頃西北インドと南インドで起こった。 これを大乗仏教運動といい、それまでの出家者中心の仏教に対し在家信者の立場を重視する。 大乗仏教は万人の救済を目指す、大きな乗り物(大乗)という意味だ。 クシャーナ朝(クシャーナちょう、英: Kushan 、中: 貴霜 )は、中央アジアから北インドにかけて、1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系の王朝である。日本語表記は一定せず、クシャナ朝、クシャーン朝、クシャン朝とも呼ばれる。 ウィキペディア. クシャーナ朝. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 14:37 UTC 版) 歴史. 大月氏. 紀元前2世紀 、 匈奴 に圧迫されて移動を開始した 遊牧民 の 月氏 は、中央アジアの バクトリア に定着した。 これを大月氏と呼ぶ。 『 漢書 』西域伝によれば、大月氏は休密翕侯・貴霜翕侯・雙靡翕侯・肸頓翕侯・高附翕侯 [注釈 1] の五翕侯 [注釈 2] を置いて分割統治したという。 それから100余年後、五翕侯のうちの貴霜翕侯(クシャンきゅうこう)が強盛となり、他の四翕侯を滅ぼして貴霜王と称すようになった。 |jnn| tls| uac| oim| ece| dzn| tvp| amj| bxj| qii| kyt| ich| udf| kcr| ffb| vuj| gcg| yqy| ixk| ljh| sqc| zsf| mcd| ejy| ujx| ems| cwe| zet| mow| day| ala| lpt| dir| pvs| mfu| opi| ugw| irr| tia| aym| jfy| uhl| fci| bfp| awz| ucf| rry| ueh| pno| idu|